担当者のコラム

 

 

 

 

 

 

 

時代の大きな流れを感じながら

今回の仕事では、広く葬祭や供養の世界に触れることになり、人生を終わりから見直すような不思議な感覚を覚えて戸惑うこともありました。また、葬祭業界の大きな変化を見るうちに、柄にもなく、ふと葬祭や供養とはいったい何だろうと自問することもありました。

 しかし、どうやら、こんな戸惑いや問いは、自分だけではなく現代の日本人の多くが経験していることのようです。先日のニュースでは、都の「樹林葬」(樹林の下に遺骨を合葬する墓)に10倍の応募があったという事がトピックになっていました。そういえば、数年前に散骨が流行ったことがありました。また、都内で、誰でも参加できる座禅会や写経など「仏教の体験イベント」がブームになったりしています。共通しているのは、葬祭にせよ仏教にせよ、いちど従来の習慣から脱して、もう一度自分たちにとっての意味を問い直すために、よりシンプルな形から再スタートしようとしているところでしょう。

人類史上初めての葬祭をイメージしてみると

  さて、それでは自分にとって葬祭・供養とは何かという問いに、自ら答えるとしたら…。それは、結局、残された人の先立った人への想いを形に表したものではないかと思うのです。私はは歴史学者でも民俗学者でもないのですが、おそらく人類史上初めての葬儀・供養は、以下のようなイメージではなかったでしょうか。

  大切な人(家族の一員や仲間など)を亡くした人が、遺体を土の中に埋葬する。

  目を閉じて、故人の面影を思い浮かべる(ここで手を合せたかもしれません)。

  そして、もり上がった土の上に、野に咲いていた一輪の花を置く。

 遺体を埋めるのは、たぶん肉食動物に食べられないようにという実際的な配慮があったのでしょうが、瞑目すること(手を合せること)や花を置くことは、まったく心情的な動機からだったのだろうと思います。つまり、セレモニー(儀式)です。ここに、もっともシンプルな葬儀・供養の原型があるように感じらるのです。

 でも、もしここで花を置かなかったら(花を手向けなかったら)、埋葬はどんなにか淋しいものになったことでしょう。それほどに花の役割は大きいのです。花と供養とは、きっと分かちがたい特別な関係にあるのだろうと思います。

 今という時代は大きな変わり目にあって、いろんなことが変化していて、葬祭・供養もその例外ではないようです。しかし、どんなに形が変わっても、葬祭・供養は、残された者の祈りと回想の場として、どうして必要なのではないかという素朴な(それでいて、ほとんど確信めいた)気持ちがあります。そして、葬祭・供養につかわれる花も、形は変わっても、その根っこにある心情はきっと変わらないのだろうと思います。このホームページをつうじて、そんな花と供養との古くて新しい関係を感じていただければ幸いです。

お別れに替え歌を

 最後に、蛇足になりますが、「千の風になって」の自作の替え歌で、「千の風になったあなたへ(お父さんへ)」を載せておきます。以前、「千の風になって」が流行った時に、戯れに作ったものに少し手を入れました。「千の風になって」が気に入った父がさかんに散骨への憧れを口にしていたので、後に残った家族にとって、やはりお墓や仏壇などの祈りと供養の場所が要るのではないか、というナイーブな気持ちを歌にしてみたのです。残暑きびしい折り、気晴らしにでもなれば 嬉しいです。

  「千の風になったあなた(お父さん)へ」

   あなたのお墓の前で、泣いてもいいですか?

   そこにあなたがいないのは、分かっているけど。

   あなたの好きなお花を飾って、

   そっとあなたのことを思い出したいの。

 

   お線香のけむりの中にあなたの面影が

   浮かぶような気がして、見つめているのよ。

   写真を立て、ロウソクに火をともし、

   いっしょに暮した日々をなつかしみたいの。

 

   あなたは今、風になって自由に空をゆく

   だけど時々ここへもどってきてほしい。

   お酒をそなえ、目を閉じて手を合せ、

   あなたと暮らした時に心は帰るの。

 


 

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